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◆意味
このような教訓がましいことを、私が言うのもはばかられるが、段々と老いていく老人の慰みに、思いつき考えたことを子供たちに諭すものである。十分な学問に基づいたものではないが、笑わずに自分たちの人生の糧にしてもらいたい。
出典:吉田實男(2010).『商家の家訓--経営者の熱きこころざし』清文社。

◆背景
伊藤長次郎家は江戸時代後期から昭和の前期にかけて兵庫県一円の農地開発や神戸港の繁栄に寄与し、道路、橋梁、学校の建設・修理など公共事業にも大金を投じた関西屈指の豪農であり、豪商でもあります。初代長次郎は、勤倹の徳を守り、辛苦勉励して伊藤家の財産の基礎を築いた人物で、仏教に帰依し十善を行った人でもありました。その初代の教えを守り、初代同様勤倹であった二代目の徳は播州全域(兵庫県西部)に響き渡っていました。伊藤長次郎家の家訓は、二代目が自らの経験と信念に基づき制定したもので、五十四条に及びます。その内容は、勤勉、倹約、質素、忍耐、義理、人情、労働の神聖性など日本人が培ってきた「人が人として守るべき道」を説くもので、人としての倫理を踏まえたものです。
参考:吉田實男(2010).『商家の家訓--経営者の熱きこころざし』清文社。

 

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一般に商家の家訓は、厳しい社会環境下で懸命に家を守り、存続の道筋をつけてきた工夫、ビジネス上の工夫が書き記されていると思われるでしょう。しかし伊藤長次郎家の家訓には、家の者たちの“生き方”に触れる項目が大変多いのです。
この家訓をつくった二代目長次郎は、初代が築いた財産を守り増やしていくために、一族の皆が守っていくべき事柄を綴っています。彼は初代と同じように仏教を篤く信仰し、五徳(敬・愛・和・譲・施)などその教えを実践した人でした。この家訓には、仏教の教えをもとに、日々仕事をするうえで思いついたことをその都度書き加えていったと思われる文言が次々と登場します。第二条、第六条では仏教の教えについて、第十二条では儒教の五常(仁・義・礼・智・信)の道徳について記しています。また“先祖を敬う”“分相応”“始末と倹約”などの戒めの言葉、さらには“若い時の努力や苦労”などについても言及しています。いずれも心に響くもので、二代目長次郎自身の生き方を表す魂の言葉と呼べる雰囲気を醸し出しています。しかし、家の者たちにとって、ともすれば年寄りの小言・繰り言と捉えられてしまうと思ったのかもしれません。今回ご紹介した「十分な学問に基づいたものではないが、笑わずに自分たちの人生の糧にしてもらいたい」と家訓の冒頭の第一条に置かれた言葉はとても柔らかな語り口です。だからこそ、後代の者にちゃんと耳を傾けてほしい、家訓の伝える戒め・教えを大切に実践してほしい、というビジネスと家の永続性を心から願う二代目長次郎の強い気持ちを感じるのです。

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