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◆意味
将来、子孫の治兵衛で身持ちが悪く、家不相続の人物であれば、一家(千切屋治兵衛家)とその全別家中、および両見世手代(千切屋吉右衛門家の店手代と自家の店手代)が相集って相談し、隠居させ、跡相続人を探し見立てて、家督を譲り替える可きこと。
出典:足立政男(1990).『シニセの家訓--企業商店・永続の秘訣』心交社。

◆背景
江戸時代から続く商家は、どの家も、家名の継承と家業の永続性をもっとも重要視していました。もしも家督を継承した人物が不出来な人物であり、家名を汚し家業を傾かせるようなことがあれば、家のために個人を隠居させるか相続の地位から外すことを考え、そのための制度をつくっていたのです。当時、このような処置を「押込め」とよび、450年続く千切屋治兵衞(ちきりやじへえ)(株)だけでなく、三井家など多くの家訓で見ることができます。

 

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時代劇では、家督を引き継いだ放蕩息子が悪さをする、そんなシーンをよく見かけます。しかし、当時の商家の家長は、実に厳しく監理されていたのです。
家訓には、家名の継承と家業の永続的発展を願って、さまざまな戒めが記載されています。そこには、家長に向けた言葉が少なくありません。足ることを知って私利私欲におぼれず、自身の「分を超えず」「分を下らず」家を守ること。賭け事や、女性にうつつを抜かすことなく、親や祖先を大切にして、暮らすこと--といった文言が多くの家訓・家憲で見られます。
家長は、こうした戒めを守り、自分自身を律して仕事に取り組んでいました。もし、家訓・家憲に定められた戒めを破れば、自分の家のみならず番頭家も交えて会議をし、隠居させられることもあるのです。今の時代の経営者よりも、もっと厳しい立場に置かれていたのではないでしょうか。
この千治家の家訓には続きがあります。それは「万一其節当主及違背に候はゞ御公儀様江御願申上、名跡相改家相続可致事」です。つまり、「当主の治兵衛がこれを守らなかった場合は、幕府の力を借りてでも当主を廃し、相続者を新しく立てて家名の相続ができる」と規定しているのです。家名の継承が第一義であり、そのためには厳しい沙汰も厭わない、家業永続に対する執念ともいえる強い思いを感じますね。
今の時代、後継者教育が難しいという話をよく耳にします。後継者である自覚を若いうちから持つためにも、そして、ファミリービジネスの永続性への強い信念をもって取り組むためにも、「押込め」の厳しい姿勢を、ファミリーガバナンスにぜひとも加えたいものです。
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