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◆意味
順序や年齢等に拘ることなく、抜擢昇格もするし、成績のよくないものは、降転格下げすることもあるべし。
出典:足立政男(1990).『シニセの家訓--企業商店・永続の秘訣』心交社。

◆背景
「江戸店持京商人」えどだなもちきょうあきんどであった 柏原家かしわばらでは、江戸の事業は支配人を中心とした従業員に任せていました。“事業は人なり”、まさに一人ひとりが精いっぱい仕事をし事業を成長させていくことを望んでいたのです。そのために、仕事ぶりをしっかりと評価し、処遇しました。またその評価にひいきがないように、納得できないことがあったり、不審なことを見聞した場合は、支配人や主人に直訴することもよし、と家訓・「店定法示合心得書」で定めていたのです。
 

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“事業の最大の資産は人である”、現代ではよく言われることです。しかし江戸時代の商人たちもまた、人を活かすことを本気で考えていました。昔の日本は、年功序列により順番に出世していくのであって、人事考課など行われていなかったと思われがちです。しかし、柏原家では当時から別家制度が確立されており、丁稚→手代→番頭→別家、と出世の道がハッキリしていました。幼少より忠実に働き、才覚・手腕が認められた者は副支配人に取り立てられました。こうして育ち抜擢された別家が大いに活躍し、江戸の店を大きく成長させていったのです。自らの成長の道筋と評価システムが明らかなことで、力を発揮する人材が生まれてきたといえるでしょう。一方、成績のよくない者は降格など厳しく処遇されました。柏原家では、評価することが家訓に明文化されており、さらに、評価に不審な点があればトップに申し出る仕組みも用意されていたのです。
現代の企業でも、人事評価によって抜擢昇格もあれば降格もあるといったことを明文化することに、二の足を踏む企業があります。しかし、人材を登用するうえでは、キャリアを明示し、評価と処遇の連動を明らかにすることが重要だと考えます。


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