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◆意味
自分の心掛け一つで身代はよくなるものである。自分の一生は、その身代を我が子に渡すまでのたかが30年である。親から譲られた財産を大切にして、自分の子供たちに無事に渡すべきものである。たった30年間の手代や番頭をすると思って、家業に努め、財産を大切にすべきである。
出典:吉田濱男(2010).『商家の家訓--経営者の熱きこころざし』清文社。

◆背景
近江の五個荘商人・二代目中村治兵衛が活躍していた1700年代前半は、8代将軍吉宗(将軍在位1716−45)の「享保の改革」の時代と重なります。吉宗は幕府の財政再建のため、新田開発や倹約の励行、また法令の整備や訴訟の円滑化をはかりました。高い役職に就く者にも真面目に職務に励むことが求められました。この厳しい時代に、家名と家業を守り次の世代へしっかりと渡していくためにどうすればいいのかを、治兵衛は考えていたのでしょう。そこに、家督を譲った嫡男の三代目が34歳の若さで亡くなります。そこで二代目治兵衛は三代目の娘(孫娘)に弱冠15歳の養子を迎え、その養子に四代目を継がせました。この条文は幼い四代目当主に、己の役割をしっかりと伝えるために残した「書置き」に記されています。
 

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この条文は、「奉公人当主」の考え方を表しています。家名や家業という財産は己のものではなく預かったものとして当主自ら懸命に働き、事業を発展させて次につないでいくことが大切、という強い決意を感じさせます。当時は吉宗の「享保の改革」の時代で、順風な経済状況ではありません。企業経営者である当主が、次の世代にバトンタッチするために、心して守るべき戒律といっていいでしょう。法師旅館(石川県、718年創業)の第46代当主である法師善五郎氏は「老舗経営は駅伝のようなもので、永遠に続いていくタスキを渡すために経営者は必死に走るのです。その横を、家族や従業員、お客様、そして地域の方々が伴走し応援してくれていることを忘れずに感謝しなければなりません」 と話しています。1300年近く続く老舗の当主もまた、家名や家業を次につなげていく、という強い思いで経営に取り組んでいるのです。
出典:後藤俊夫(2009).『三代、100年潰れない会社のルール』プレジデント社。
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