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◆意味
相場の高低については「定期便」にのみ頼らず、金はかかっても「仕立便」で通信すること。
出典:柏原家初代三百回忌記念事業実行委員会(1988).『柏寿三百年』(私家版)。
足立政男(1974).『老舗の家訓と家業経営』広池学園事業部

「江戸店持京商人」【えどだなもちきょうあきんど】とは、京都で商品を仕入れ販売業を営むだけでなく、江戸でも店を開き、上方の品物を販売する商人のこと。柏原【かしわばら】家では、歴代の当主は京都に住み、江戸へは年に一度か二度だけ下った。ふだんの江戸の商売は、江戸別家と支配人に任せていた。
また、江戸-大阪間の飛脚便には、以下の3つがあった。
 ①並便 定日にまとめて発送 所要日数25日程度 書状1通 銀3分(330円程度)
 ②幸便 定日にまとめて発送するが昼夜兼行で運搬 所要日数6~10日 銀2匁(2200円)
 ③仕立便 即刻飛脚を仕立てて運搬 所要日数3日半 金子7両2分(約50万円)

◆背景
柏原家は、正保2年(1645)に京都で呉服や小間物を仕入れ販売する「柏屋」を創業した商家です。1680年代には、江戸・日本橋にも同様の品を扱う店を開業し、安永3年(1774)には漆器の「黒江屋」の経営を始めました。当時、京都を拠点にしつつ消費地として発展を続ける江戸で商売をする「江戸店持京商人」は商人の理想とされたそうです。しかし、京都にいる当主がふだんの経営を江戸別家に任せ広く商売を営むことは、容易なことではありませんでした。柏原家の家訓の一つである「家内定法帳」では、費用の節約など堅い取り締まりもうたう一方で、必要な時には、大金をかけてでも急ぎ江戸の情報を入手するようにと言っています。相場情報をはじめとした貴重な江戸の情報を経営判断の材料とし、商売につなげる積極的な姿勢を打ち出しています。 

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一業に専心して他業種には着手しない老舗が多いなか、柏原家では1700年代からすでに事業の多角化に取り組んでいました。京呉服と小間物の店としてスタートした後、江戸で1710年代に庶民に流行り始めたのに合わせ木綿問屋を、安永3年(1774)に漆器販売の「黒江屋」を、天明元年(1781)に和紙販売の「松坂屋」を家業に加えました。多角経営かつ当主は京都を拠点にしてふだん江戸には不在という形態をとっていたのです。柏原家は経営を適切に推進するため、思いや価値観の共有に関するルールを定めていました。事業成長期の宝暦5年(1755)に五代目正覚が定めた家訓「家内定法帳」に収められた相場情報伝達についての第九条は、経営上特に重要なものとして設けられたものです。仕事の具体的なルールである「店則的要素」を家訓に加えた例といえます。柏原家の当主は京都にいながらも、経済状況を読み素早く新規事業に取り組んだり、収益が低下してきた事業から早期に撤退したり、社会状況が厳しい折には早くから全社の引き締めを行いました。他には負けない情報収集力と判断をもとに、今の時代もしっかりと経営を継続しているのです。
参考文献:柏原家初代三百回忌記念事業実行委員会(1988).『柏寿三百年』(私家版)。
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