◆意味
家名の尊重と永続のためには、分を守り、信心、慈悲を心掛け、心を安んずるにある。
家職は永久存続せしめねばならない。現在主人である自分も、また将来の子孫も、ただ家職相続のための手代であり、ときの支配役であるにすぎないのであって、祖先の遺した家紋を守護し、家業を経営して、後世に永久相続せしめねばならない重い責任と任務を帯びているのである。
出典:足立政男(1990).『シニセの家訓――企業・商店永続の秘訣』心交社。
◆背景
外与(とのよ)(株)は創業元禄13年(1700)、当主外村(とのむら)与左衛門の略称を屋号とし、現在も京都で繊維品製造販売を営む老舗企業です。外村家は、試練を乗り越え繁栄・永続する秘訣を、いくつもの家訓に記してきました。安政3年(1856)に「心得書」、慶應4年(1868)に「追作法」、明治19年(1886)には「改正規則書」、そして今回ご紹介した一節を含む「謹言」を、明治31年(1898)以降に制定しています。
多くの老舗企業がひたすら求める家名・家業の長久と存続――その思いをよく表す家訓といえるでしょう。また、この「謹言」の成立時期が経済界の発達期であり、日清戦争勝利という好景気に沸いた時期と重なることは偶然ではありません。誰しも有頂天になりがちな好況に、あえて戒めとして「謹言」と題し書き記したのではないでしょうか。
原文に「勤ト倹」とあるように、外村家では「精勤」・「倹約」の2点こそが大切と、他の家訓でも繰り返し述べています。
「精勤」については「心得書」に「家を永く承継できるかは、家の作法を守るか守らないかで決まる。家の作法を大切に守り、仕事に精いっぱい励むように」と記し、「改正規則書」では、起床時間まで規定し、早朝に起床し、その日の段取りをし手違いが起こらないよう準備することを説いています。
「倹約」についても「心得書」で「家を守る基本」とし、「昔からのしきたりを忘れないように気をつけ、わずかなものであっても無駄にしないように、身の回りの衣類などは大切にすること」と戒めています。
この「謹言」も、家の存続・発展のための外村家の基本を、重ねて言い聞かせるため記したのでしょう。現代の我われも、今一度かみしめてみる必要がある言葉です。
次のページ:其の三 不埒なものは「押込める」千切屋治兵衞(株)の家訓
前のページ:其の一 「三方よし」の原典といわれる中村治兵衛家の家訓